2017年月報2月号巻頭言「福音の種蒔きに計算はいらない」

朝、種を蒔け、夜にも手を休めるな。実を結ぶのはあれかこれか、それとも両方なのか、分からないのだから。(コヘレトの言葉11章6節)

昨年の末に、2000年から2005年まで日語部牧師であった大門光歩先生(現神戸女学院中高聖書科教師)とそのご家族が、およそ12年ぶりにシカモア教会を訪ねて下さいました。

日語部のメンバーもガラリと変わりましたが、大門先生は懐かしい方々との再会を喜ぶと共に、今なお希望に満ちて宣教を続けている日語部の姿に、驚きと感動を覚えられたとのことでした。

ちょうどこの月報にフォガティさとこさんの信仰告白が掲載されていますが、昨年末のクリスマスに洗礼を受けたさとこさんは、かつて大門先生がシカモアにおられた時、幼稚園の保護者として礼拝に出席をされていました。その彼女が12年の時を経て洗礼を受け、キリスト者として歩み出す瞬間に、大門先生は偶然にも立ち会われたのです。その不思議な巡り合わせに、私は上述されているコヘレトの言葉を想い起こさずにはいられませんでした。

私たちはキリストの弟子として福音の種蒔きをする者ですが、その種がいつどのような芽を出すのか、それはすべて人間の思いを超えて、神様のなさる御業なのです。私たちは福音の種まきに対して計算高くなる必要はありません。目の前にいる人に精一杯の愛を注ぎ、ひたすらに福音の種を蒔き続ける。そして後は、その種がどう育つか、祈りつつ神様の御業に委ねるのです。大門先生の訪問を通して、改めてその信仰の大切さに気づかされました。

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