2020年月報3月号巻頭言「すべての人に」吉岡恵生

「神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。」(テモテへの手紙2章4節)

「シカモア教会は、どのような立場、背景を持っていても、すべての人を、そしてあなたを歓迎します」。初めてこの言葉を聞いた時、大きな感動を覚えました。この感動の言葉を毎週聞いて礼拝をささげられることは、どれほど恵み深いことでしょう。

「シカモア教会とはどのような教会ですか?」と誰かに聞かれたら、皆さんはどう答えるでしょうか。おそらく多くの方が、「シカモア教会は、すべての人を歓迎する教会です」。と答えるのではないでしょうか。毎週日曜日、礼拝の始まりを告げるあの言葉は、まさに私たちの教会とはどのような教会なのかを明確に宣言している言葉であるのです。

「宣言」というのは、通常自分以外の誰かに向かってなされます。しかし実際には、自分自身が最もその宣言の言葉を聞いているのです。ある人が、「私は新しい一年、こういう風に生きていきます」。と宣言したとしましょう。その宣言は、他の誰かに向かって語られているのですが、後々、その宣言を最も聞き続けていくのは自分自身です。宣言しているのは自分自身ですから、その自分が本当にその宣言どおりの歩みをしているのかを絶えず問われるのです。そのように、私たちが「すべての人を歓迎します」と宣言する時、その言葉は、他の誰かに向かって「私たちはこういう教会である」と伝えていながらも、実は、自分自身が最もその言葉に向き合う者として立たされていくのです。

「すべての人を歓迎する教会」。その宣言は、素晴らしい響きを持っています。「神は、すべての人々が救われることを望んでおられる」と御言葉にありますから、この宣言は、その神の御心にふさわしい宣言だと言えるでしょう。では、私たちの教会は、名実ともにその宣言にふさわしい教会であるのかどうか。毎週の礼拝で、この美しい宣言の言葉に感動を覚えながら、しかし、ただ感動するのではなく、この聖なる言葉に深く自らを問われつつ、これからも、「すべての人を歓迎する教会」となっていくことを目指し続けていただきたいと思います。

シカモア教会のこれからの歩みの上にも、神様の支えと導きが豊かにありますように。

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