2016年月報10月号巻頭言「故郷への想い」

わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。(フィリピの信徒への手紙3章20節)

サンフランシスコから東に車で7時間ほど走ったところにマンザナというところがあります。そこは、朝晩は冷え込み、日中は灼熱の太陽に照らされる荒れ野で、人が住むにはとても厳しい環境です。しかし、今から70年前、この地には第二次世界大戦下における日系人たちの強制収容所がありました。

アメリカは当時、特に西海岸に住む12万313人の日本人や日系アメリカ人を収容するために10ヶ所の強制収容所を作りました。収容された人々のうち約7割がアメリカ生まれの2世で市民権を持っていたにもかかわらず、彼らも含めて多くの日系人たちが財産を奪われ、終戦までの日々を過酷な環境で過ごすことになったのです。

先日私は、このマンザナの地に行ってきたのですが、そこには今も、かつてこの収容所に生きた日系人たちの故郷への想いが刻まれていました。過酷な環境と現実の中で、それでも彼らはなんとか故郷への想いを表現し、自分たちのアイデンティティを保とうとしていたのです。

人は苦難の中に立てば立つほど、故郷への想いを強くする存在であることを思います。自分は何者なのか。自分が平安を得られる環境はどこにあるのか。そうした問いの先には、故郷への憧れがあり、故郷を想う人の心には、人が真向かう現実の中に、希望と慰めをもたらす特別な力が宿るのです。

聖書は、わたしたちの本当の故郷は「天」にあると告げています。なぜなら、わたしたちの命は神によって造られ、神のもとに帰っていくものだからです。この世の苦難と向き合いながら、私たちの故郷は天にあることを覚えて生きる。どんなに現実は厳しくとも、私たちは間違いなく平安と慰めに満ちた天に向かっているのだということを覚えて生きる。その信仰は、この地上という荒れ野を生き抜くための大きな力となるのだと、聖書は告げているのです。

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