2015年月報12月号巻頭言

目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか。わたしの助けは来る。天地を造られた主のもとから。(詩篇121編1〜2節)

今年のアドベントは11月29日(日)から始まります。私たちはこの日からクリスマスに向けて、イエス・キリストの降誕を待ち望む時を歩んで行くのです。

ところで、「待ち望む」という言葉を聞いて、皆さんはどのようなイメージを持つでしょうか。それは、ただ何もせずに待っている状態なのか。あるいは半信半疑で待っている状態なのか。とにかく「待つ」ということには積極性が感じられず、あまり良いイメージはないという人もいるかもしれません。

しかし実は、救い主を「待ち望む」という私たちの信仰は、決してそのような消極的な姿勢を意味するものではないのです。むしろ、実に積極的であり、希望に満ち溢れている。もちろんそこには、疑いも迷いも、焦りもない。どんなに闇のような現実を前にしても、苦難や悲しみの只中にあったとしても、「わたしの助けは来る」と確信しながらその助けが来るのを希望を持って待ち続けることができる。それが、私たちの信仰における「待ち望む」という姿勢なのです。

なぜ、そのようなモチベーションになれるのでしょうか。それは、詩篇121編に示されているように、自分の助けがどこから来るのかを、信仰によって明確に知っているからです。ただ無根拠に、能天気に待っているのではありません。天地を造られ、私の命を造られた「神」が、その愛ゆえに必ず私を救い出して下さり、闇のような現実に光を注いで下さると信じている。そのように、「救いの出どころ」を明確に知っているからこそ、私たちは確信と希望を持って待つことができるのです。  信仰が生み出す「待ち望む」という姿勢は、これほど積極的で、力強いのです。神は私たちを、この信仰に生きるようにと招いておられます。それが私たちの人生にとって力となり、大きな意味を持つものとなるからです。この招きに気づくアドベントの時を過ごしましょう。

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